展示写真の解説
私が撮った風景写真には私⾃⾝の⼼理的・⽂化的な概念も含まれていますが、展⽰した写真の多くは意図せず偶然撮れたと⾔える写真が多いです。撮影時の意図とは切り離して、私⾃⾝、これらの写真が何を表しているのかを客観的に推察してタイトルを選びました。それぞれの風景写真に正解のタイトルは無いので、ぜひ写真を見たあなたの感じたことを教えてください。
展示写真の解説
私が撮った風景写真には私⾃⾝の⼼理的・⽂化的な概念も含まれていますが、展⽰した写真の多くは意図せず偶然撮れたと⾔える写真が多いです。撮影時の意図とは切り離して、私⾃⾝、これらの写真が何を表しているのかを客観的に推察してタイトルを選びました。それぞれの風景写真に正解のタイトルは無いので、ぜひ写真を見たあなたの感じたことを教えてください。

Compression
「しらすやまと」という撮影テーマの一つの側面は、「時間的な総量の圧縮」だと思っています。数千年かけてこの風景が造られたことへの感謝と、これから先の数千年もこの風景が続いていくことへの祈り、そのような時間的な総量を1枚の写真に込められたら良いなと思いながら、私は風景写真を撮っています。
この滝の風景写真には長時間露光によって数十秒の水の流れが圧縮されていて、その前に並ぶ劣化具合の違う3体の仏像からはそれぞれ経過してきた時間の長さを感じます。私が考える「時間的な総量の圧縮」が現れた一枚です。
(撮影場所:佐賀県 小城市 清水の滝)

Point of Inflection
人生には、流れの変わる変曲点がある気がします。振り返ると、その時が転機であったと分かりますが、日常を一生懸命生きているとなかなか気が付かなかったりします。
急峻な谷の向こうから朝日が昇ってくる瞬間、影は一気に光へと転じていきます。朝日が山にかかった瞬間の風景に、はっきりとした変曲点を感じました。
(撮影場所:宮崎県 日之影町 七折)
Vanishing point
普段当たり前に会っている人、学校や職場、大切な風景、それぞれ人生の状況が変わり会わなくなったり、行かなくなったりしたときに、その存在の大きさに気が付いたりします。
この写真を見るとすごく静かで音を失くなってしまったような感覚になりますが、それとは対照的に、水面に写った樹木とその水影は大きく振れた音の波形図にも見えます。その波形を見ていると、一層、失くなった音に対して感情が動きます。
(撮影場所:山口県 下関市 一ノ俣桜公園)

Vitality
植物、特に樹木は、その風景が数千年かけて造られてきたことを感じることが出来る要素の一つです。長い年月を生き抜いてきたことが感じられる樹木からは力強い生命力を感じます。
人間が造った鳥居の荘厳さ以上に、包み込む桜の生命力は力強く、その桜の間を歩いていく人の後ろ姿からは、それらをさらに越えた意志の力や生命力を感じました。
(撮影場所:山口県 山口市 徳佐八幡宮前)

Over Distance
目の前に広がる風景は数百万年という時間をかけて形成されてきた結晶のようなもので、現代を生きる私たちはその時間に想いを馳せて、これから先の遥か未来に何を残していくのかを選択することができます。
この風景写真は、昭和時代後期につくられた渓石園という日本庭園の写真です。渓石園は耶馬溪という歴史ある奇岩の渓谷の中に位置しています。耶馬溪の歴史は古く、数百万年前に溶岩が隆起し景観の基礎が形成され、千数百年前に岩山に神仏の姿が掘り始められ、江戸時代後期に作家の頼山陽が「耶馬溪」という名前を付けた場所です。
霧が晴れた瞬間の風景写真のなかで、比較的新しい日本庭園の滝と、その先にある歴史ある耶馬溪が一直線に繋がった気がしました。風景写真は、物理的な距離も時間的な距離も越えることができるのだと思います。
(撮影場所:大分県 中津市 渓石園)


I think, therefore I am
人生のなかで、何をやっても上手くいかない時期や耐える時期は何度かあると思います。その際に確かなものは、自分自身の感覚だけなのかもしれません。
この風景写真をみると、水面と霧の境界線・鳥居の大きさ・鳥居と枝との距離・鳥居と撮り手との距離、すべてがあやふやでつかみどころが無い感覚を覚えます。そのなかで正確に感じ取ることが出来るのは、この風景写真を見ているあなた自身の感覚だけかもしれません。かつてデカルトが唱えた「我思う、故に我在り」という言葉を思い出しました。
(撮影場所:大分県 由布市 天祖神社)
Inspired by Kiyochika Kobayashi
日本において写真という技術はまだ200年ぐらいの歴史しかありません。写真技術が伝わる以前は、三次元の風景を二次元にとどめる表現は「浮世絵」のような絵画が主流であったと思います。日本最初期の写真家達は「浮世絵」を見て培ってきた構図を捉えるチカラを活かして風景写真を撮ったのではないでしょうか。
沢山の素晴らしい浮世絵師達が作品を残していますが、なかでも小林清親が浮世絵で描いた風景は、その一瞬を捉えた構図や色彩表現が素晴らしいです。街を歩きながらデッサンをしていたという彼の浮世絵の構図からは、現代のストリートスナップにも通じる技術を感じます。日本らしい美しい瞬間を撮ることができたとき、小林清親の浮世絵を思い出されます。
(撮影場所:鹿児島県 霧島市 霧島神宮)
