観光地で見た素晴らしい風景に対して、形成されるまでに要した時間や自分が居なくなった先の未来に想いを馳せて欲しい。普段自分が住んでいる街の風景も同じような感覚で眺めてみると、日々の生活では気が付かなかった特別な感情を覚えるかもしれない。私が撮ってきた風景写真が、人と風景が対話するための媒介になり、きっかけになれば本望だ。
展示写真の解説
私が撮った風景写真には私⾃⾝の⼼理的・⽂化的な概念も含まれていますが、展⽰した写真の多くは意図せず偶然撮れたと⾔える写真が多いです。撮影時の意図とは切り離して、私⾃⾝、これらの写真が何を表しているのかを客観的に推察してタイトルを選びました。それぞれの風景写真に正解のタイトルは無いので、ぜひ写真を見たあなたの感じたことを教えてください。
Reflection
⼈は素晴らしい景観を眺めるとき、対話をしているように感じます。時にはその対象と、時には⾃分⾃⾝と。富⼠⼭は日本で一番有名な景観ではないでしょうか。何百年、何千年も前から、眺める人達はときに何かを宣言したり、祈ったり、感謝をしたり、沢山の対話を繰り返してきたと思います。この写真から、富士山を眺める⼈の⼼のなかで起こる「問いと応え」を感じました。
(撮影場所:静岡県 富士宮市 田貫湖から望む富士山)
Forgiveness
人は精神も肉体も健全なときは自信を持って他者と対話できますが、疲れている時は自分の吐き出した想いをただ聞き流して欲しかったりします。
富⼠⼭を眺めるときの⼒強い対話と⽐べて、この開聞岳(別名:薩摩富士)の写真からは、眺める⼈の想いが受け⼊れられ、そのまま洗い流してもらえるような⼒を感じました。
(撮影場所:鹿児島県 指宿市 川尻海岸から望む開聞岳)
Inspired by Kiyochika Kobayashi
日本において写真という技術はまだ200年ぐらいの歴史しかありません。写真技術が伝わる以前は、三次元の風景を二次元にとどめる表現は「浮世絵」のような絵画が主流であったと思います。日本最初期の写真家達は「浮世絵」を見て培ってきた構図を捉えるチカラを活かして風景写真を撮ったのではないでしょうか。
沢山の素晴らしい浮世絵師達が作品を残していますが、なかでも小林清親が浮世絵で描いた風景は、その一瞬を捉えた構図や色彩表現が素晴らしいです。街を歩きながらデッサンをしていたという彼の浮世絵の構図からは、現代のストリートスナップにも通じる技術を感じます。日本らしい美しい瞬間を撮ることができたとき、小林清親の浮世絵を思い出されます。
(撮影場所:鹿児島県 霧島市 霧島神宮)
The crossing
道と道の結節点は古くは辻と呼ばれ、人と人が出会う場所として特徴的な風景をつくり出します。それが橋と水路だと、また変わった風景を見ることができます。
この風景写真は、橋の上で立ち止まる親子と、船で橋の下を通る観光客の方達との出会いの瞬間です。橋と水路だけでなく、橋と手前の電灯も交差して、座標軸のように領域が区切られて見えます。左上の親子と右下の観光客は、人数・服装から感じる時代感・当たっている光の具合・向いている方向など、多くの事象が対照的です。
(撮影場所:岡山県 倉敷市 中橋)
Balances
日本という国の観光地の魅力は、利便性や経済性だけでなく、古来から日本人が残してきた宗教的な建築物や、その背景にある信仰心だと思います。日本に現存する神社仏閣の数は15万箇所以上でコンビニの約3倍とも言われています。
この風景写真は、島から出る最終フェリーが出発した直後の宮島表参道商店街の様子です。商店街を覆う日除の布は畳まれ、御土産物屋が一斉にシャッターを下ろすと、鹿が悠々と道の真ん中を歩き始めました。宮島における鹿は神の使いとされています。左右の商店と誘客の提灯、それに対する、遠くに見えると塔と手前の鹿、この対比が日本の観光における利便性と宗教的な信仰心に重なりました。このバランスが保たれている限り、きっと宮島の魅力は色褪せず未来に残されていくと感じました。
(撮影場所:広島県 廿日市市 宮島表参道商店街)
Over Distance
目の前に広がる風景は数百万年という時間をかけて形成されてきた結晶のようなもので、現代を生きる私たちはその時間に想いを馳せて、これから先の遥か未来に何を残していくのかを選択することができます。
この風景写真は、昭和時代後期につくられた渓石園という日本庭園の写真です。渓石園は耶馬溪という歴史ある奇岩の渓谷の中に位置しています。耶馬溪の歴史は古く、数百万年前に溶岩が隆起し景観の基礎が形成され、千数百年前に岩山に神仏の姿が掘り始められ、江戸時代後期に作家の頼山陽が「耶馬溪」という名前を付けた場所です。
霧が晴れた瞬間の風景写真のなかで、比較的新しい日本庭園の滝と、その先にある歴史ある耶馬溪が一直線に繋がった気がしました。風景写真は、物理的な距離も時間的な距離も越えることができるのだと思います。
(撮影場所:大分県 中津市 渓石園)
I think, therefore I am
人生のなかで、何をやっても上手くいかない時期や耐える時期は何度かあると思います。その際に確かなものは、自分自身の感覚だけなのかもしれません。
この風景写真をみると、水面と霧の境界線・鳥居の大きさ・鳥居と枝との距離・鳥居と撮り手との距離、すべてがあやふやでつかみどころが無い感覚を覚えます。そのなかで正確に感じ取ることが出来るのは、この風景写真を見ているあなた自身の感覚だけかもしれません。かつてデカルトが唱えた「我思う、故に我在り」という言葉を思い出しました。
(撮影場所:大分県 由布市 天祖神社)
“wa”
日本には昔から「八百万の神」のという概念があり、あらゆる事象や場所、道具にまで神が宿ると考えられてきました。海外におけるアニミズムとは少し違いがあり、神と人間との調和という概念が重んじられていて、そのバランスを崩すと罰があるという感覚を日本人は持っています。
この風景写真は、傘を差した3人の巫女が山の上にある寺社へと出勤する様子で、一礼して鳥居の下をくぐろうとしている瞬間です。鳥居から向こうは神様の領域だと感じる感覚、真ん中は神様の通り道であるから開けておく感覚、これらは英語に訳するのが難しい日本人ならではの感覚だと感じました。
[2020年にInstagram世界公式アカウントにて紹介された写真を再編集したものです]
(撮影場所:大分県 宇佐市 宇佐神宮)
個展概要
【鹿児島会場】
期間:2024年10月12日(土) − 14日(月祝)
時間:12:00 − 18:00 ※最終日のみ17:00まで
鹿児島県鹿児島市呉服町6-5 7F
10/13(日)対談イベント
・ 時間:14:00 − 15:30
・ ゲスト:コミニケーションディレクター
黒瀬優佳 氏@BAGN Inc
・ 参加費:¥1,000(先着20名程度)
※ テイクアウトのワンドリンク・ポストカード付
※ 当日先着10名椅子席/残りスタンディング
※ 参加費は当日会場にて現金にてお支払い
10/19(土)対談イベント
・ 時間:16:30 − 18:00
・ ゲスト:デザイナー 佐藤かつあき氏
・ 参加費:¥1,000(先着20名程度)
※ テイクアウトのワンドリンク・ポストカード付
※ 当日先着10名椅子席/残りスタンディング
※ 参加費は当日会場にて現金にてお支払い
11/4(月祝)対談イベント
・ 時間:18:00 − 19:30
・ 会場:小倉城庭園書院棟
・ ゲスト:陶芸家 井上祐希 氏 @井上萬二窯
・ 参加費:¥1,000(先着20名程度)
※ テイクアウトのワンドリンク・ポストカード付
※ 参加費は当日会場にて現金にてお支払い
去年の様子